簡単に言うと、共依存とは、他人が自己の存在証明としてあるような人間関係をいい、きわめて他人に依存的で、他者をコントロールしようとする状態です。ひどくなると生きにくさや人間関係の悪化や心身の不調が生じる現代病です。
法則を実践しようとする方の中には、共依存傾向のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。私自身、共依存傾向にありました。でも、かなり危険な状態だと自覚していたから、ルールズを受け入れ実行しやすかったんだと思うんです。
だから、彼に振り回されてどうしてもルールズが実行できない方、悪い男に引っかかってしまう方、つい多くを与えたくなってしまう方…ぜひ共依存について知っていただきたいと思い、ここに資料として載せさせていただきました。
以下、私の独断と偏見に基づいて抜粋・編集しました。共依存という概念自体が新しいもので、明確な定義、位置づけなど、まだまだこれから活発に議論されていくのではないかと考えています。
もともとは、アルコール依存症の家族についての研究がはじまりといわれています。
アルコール依存症の夫がいて、その夫の世話を焼き続ける妻がいました。
夫が酒飲んで仕事しなくて暴力ふるったりもするのに、夫から離れていかない奥さん。
アメリカのSWだかアル中専門の精神科医だかが、その姿を見て、
「普通で考えたらとっくに奥さんは旦那に愛想をつかせて逃げるだろうに、 なぜ逃げないのだろう?どうして苦しみながら一緒にいるのだろう?」と疑問に感じたのです。
妻は、夫の酒問題に眼を向けていれば、自分の問題・悩みと正面きって向かい合わなく済むために夫から離れられないのではないか。
妻が自分には価値がないという認識で育ってきていれば、必要とされていると実感できてはじめて初めて不安や寂しさが薄れるために、世話を焼いてしまうのかもしれない。
…これが「苦しみながらも離れられない」の答えと考えられ、妻、またはこの不健全な人間関係を共依存と呼ぶようになりました。
一方、アルコール依存症本人(夫と記す)のあらゆる問題を妻が代りに解決してしまうため、それが当然となり、夫がどんなことでも妻の責任だと言って(妻を)責めるようになる場合があります。
これは、妻を自分の問題に巻き込むことで、自分の問題(なぜ酒を飲まずにはいられないのかとか)と向き合わなくて済む状態であり、夫も共依存状態に陥ったということもできます。
アルコールなどの物質にのめり込むのを物質嗜癖、ギャンブルの様な行為にのめり込むのを過程嗜癖というに対し、共依存は、人間関係嗜癖といわれます。 嗜癖行動とは生きづらさや関係の持ちづらさを感じた結果、何かにのめり込んで紛らわそうとする状態のことです。
明確な適宜や、どこからが共依存症の関係と言えるのかについて今のところ明白なラインはありません。
頼まれなくても他人の世話に明け暮れ、相手を喜ばせようと自分は後回し、その揚げ句に思いどおりにならないといって腹を立てる。(救済者→迫害者→犠牲者)
自分と他人の区別がつかなくなるため、パートナーの抱える問題について相談する時に主語がはっきりしないまま、だらだらとしゃべる人が目立つ。